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【体験談】母が2度目の脳梗塞に──「母の介護と向き合って気づいた3つのこと」──

目次

デイサービスでの転倒と再びの入院

それから数年後、母は通い慣れたデイサービスで転倒し、大腿骨を骨折してしまいました。再びの入院が決まり、家族としてはとてもショックでした。

しかもその時期は、ちょうど新型コロナウイルスが猛威をふるっていた頃。病院では面会が制限されており、母に会うことができず、不安な日々が続きました。どんな表情で過ごしているのか、どこか痛がっていないか──気にかかることばかり。

そんな中で支えになったのは、看護師さんやリハビリスタッフの方々の存在でした。電話越しに状況を伝えてくださったり、母に優しく声をかけてくださっている様子を聞くたびに、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

退院後、要介護度の変化と新しい支援体制

退院後、母の要介護認定は「要支援2」から「要介護1」へと変わりました。

その結果、利用できる介護サービスの範囲も広がり、デイサービスの回数を増やすことができるようになりました。母本人の希望を尊重しながら、ケアマネージャーさんと相談を重ね、2か所のデイサービスに通うというスタイルを取り入れることに。

一つはリハビリに特化した施設。もう一つは、民家を活用して運営されている、家庭的で温かみのある雰囲気の施設でした。


過去の経験が生きた、手作業のリハビリ

リハビリ専門のディサービスでは足を使って自転車をこいだり、数字を書く練習、脳トレ、食事の時に左手で、箸で食べるの練習をしていただきました。

家庭的なデイサービスでは、スタッフの方の配慮もあり、母がかつて得意としていた「手仕事」をリハビリの一環として取り入れていただくことができました。

右半身が麻痺している母は、左手一本で懸命に作品づくりに取り組んでいました。時には料理の手伝いも行いました。

折り紙で花を折ったり、毛糸で簡単な編み物をしたり。若い頃に覚えた技術や指の感覚を思い出しながら、静かにでも集中して一つひとつの作業を仕上げていく姿には、見ている私の方が勇気をもらうようでした。

できあがった作品は、私に持ち帰らせてくれ、母にとっても「自分にできることがある」という自信に繋がっていたように思います。


Screenshot
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真冬の深夜、2度目の脳梗塞

季節は12月。寒さが一段と厳しくなったある日、母の様子に少し違和感がありました。朝からなんとなく元気がなく、食欲も少し落ちているような気がしたのです。

「寒いから疲れてるのかな」
そんなふうに思っていましたが、夜になって突然、母がこう言いました。

「足がふらついて立てない気がするのよ」

驚いてすぐ、相談窓口に電話。状況を伝えると、すぐに「救急車を呼んでください」と言われました。夜中の静まり返った住宅街に、サイレンの音が響く中、母を乗せて病院へ向かいました。

今度は左側に…恐怖がよぎる

検査の結果、2度目の脳梗塞であることがわかりました。
しかも、今回は右脳の血管に異常が見られるという診断。

「今度は右側だけでなく、左側も麻痺してしまうかもしれない…」
そんな最悪のシナリオが頭をよぎり、不安でたまりませんでした。

でも、幸いなことに今回は比較的小さな血管の詰まりだったようで、リハビリをしたおかげで大きな後遺症は残らず、すでに麻痺していた右半身への影響も最小限で済みました。

本当に、胸をなで下ろす思いでした。

要介護5に

入退院を繰り返す中で、やはり足腰の衰えは避けられませんでした。
気づけば、母は自力で起き上がることも難しくなり、トイレや着替えにもすべて介助が必要な状態に。

そして現在、要介護5

ほとんど自力でできることはなくなりましたが、それでも週5回のデイサービスと、必要に応じたショートステイを利用しながら、自宅での生活を続けています。

リハビリや入浴支援、介護スタッフの温かい声かけに支えられ、母は今も“その人らしさ”を大切にしながら日々を過ごしています。

私も、子育てと介護のダブルケアという大きな課題に向き合いながら、少しずつ「人に頼ること」「無理をしないこと」「感謝を伝えること」の大切さを学んでいます。

「いつもの母」でいてくれることの尊さ

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2度目の脳梗塞を経て、あらためて思ったことがあります。
それは、「今ある当たり前」は、決して当たり前じゃないということ。

朝、笑って「おはよう」と言ってくれる。
好きなテレビ番組を見て、一緒に笑ってくれる。
「ごはん、美味しかったよ」と言ってくれる。

そんな日常が、とても貴重で、かけがえのない時間であることを、改めて深く実感しました。

介護をしながら 気づいたこと

① 「知識」は家族を守る。学ぶことは愛情

あの時、脳梗塞の初期症状(口のゆがみ、片側の麻痺など)を知っていたら――
もっと早く病院へ連れていけたかもしれない。

それから私は、介護のこと、制度のこと、医療のこと、
できる限り**「知る努力」**をするようになりました。

「知っている」だけで、選択肢が増えます。
「知っている」だけで、守れる命や時間がある。
それを母から教えられました。


② 「頑張らない介護」が、いちばん続けられる

・プロに頼る(訪問介護、ケアマネ、デイ)
・便利な介護用品を使う
・家族や友人に甘える

そうすることで、私自身の笑顔や健康も取り戻せました。
介護する人が倒れてしまっては、本末転倒ですよね。


③ 「ありがとう」と「ごめんね」を言える今が、宝物

最初は「全部自分でやらなきゃ」と思っていました。幸いにも私には姉妹がいたので、不安を共有し、協力しながら進めていけたのは良かったです。
介護を長く続けていくためには、「完璧を手放すこと」も必要です。

ある日、母がぽつりとこう言いました。

「迷惑ばかりかけてごめんね」
「でも、あなたがいてくれて幸せだよ」

介護って、「お互いに愛情を再確認する時間」でもあるんだと気づきました。

忙しい毎日の中で、
「ありがとう」も「ごめんね」も、なかなか言えないことがあります。
でも、そういう言葉を交わせる今こそが、私たちにとっての宝物なのだと思います。


■ 最後に:同じように頑張っているあなたへ

介護は、体も心も削られるような日々が続きます。
誰にも言えない不安や疲れを抱え込んでいる方も多いと思います。

でも、あなたの介護には「意味」があります。
あなたの存在が、誰かを救っているかもしれません。

もし今、しんどいなと思ったら――
どうか、誰かに頼ってください。
そして、自分自身のことも、大切にしてください。

私の経験が、どこかで誰かの心をそっと支えるきっかけになれば幸いです。

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