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「母の脳梗塞。気づけなかったあの日から──私の生活は一変した」ダブルケアの始まり

2月のある日、母の話し方に「ちょっとろれつが回っていないけど・・」
と私はなんとなく違和感を覚えていました。

その日、母は私の家に日帰り温泉に行くために来てくれていました。
車で1時間ほどの場所にある温泉へ向かいました。
現地で母が「腕が上がらない」と言い出したのです。

最初は病気かどうかも分からないままでした。
けれど、すぐに動きがおかしいと気づいたスタッフの方が救急要請してくれ、
母はドクターヘリで搬送されることに。

病院で告げられたのは――「脳梗塞です」という言葉でした。

あのとき、私に脳梗塞の知識があったら…。
もっと早く「これはおかしい」と気づいて病院へ連れていけたのではないか。
その思いは今でも、私の胸に重く残っています。

脳梗塞とは・・脳の血管が詰まることで血流が途絶え、脳細胞が死んでしまう病気です。血液が届かなくなった部分の脳は酸素や栄養を受け取れず、数時間以内に壊死してしまいます。そのため、手足の麻痺やしびれ、ろれつが回らない、言葉が出ない、視野が欠ける、めまい、意識障害などの症状が突然現れるのが特徴です。

そしてこの日から、母と私の“介護”が始まりました。

この記事では、そんな介護生活の中で私が「本当に大切だと気づいたこと」をまとめてお伝えしたいと思います。
今まさに介護の渦中にいる方や、これから向き合う方の、心の支えになればうれしいです。

デイサービスでのリハビリと母の努力

退院後、母は右半身麻痺の状態で生活をスタートしました。様々な手続きをし、ケアマネージャーさん等と退院後した後からの今後の生活のことを何度も話し合っていきました。
初めは日常のほとんどをサポートしないといけない状態でしたが、母は自分で動こう、歩こうと懸命にリハビリに励んでいました。本当に母は小さい頃から努力の人でした。その甲斐あって左手で食事や文字を書くことなど自分でできるようになっていきました。

週に数回のデイサービスでは、理学療法士さんに支えられながら少しずつ体を動かしていきました。

「お母さん、がんばってるね」
「今日は杖ついて○歩歩けたよ!」「左手で食べれたね」

そんな言葉を交わすことが、私たちの支えでした。
少しずつ、母の表情に笑顔が戻っていったのが印象的でした。

大腿骨骨折で再入院。コロナ禍の孤独と支え

それから数年後、今度はデイサービスで母が転倒し、大腿骨を骨折
またしても入院生活が始まりました。

しかし、このときはコロナ禍の真っ只中
病院の面会制限が厳しく、数ヶ月間、ほとんど母に会うことができませんでした

会えない時間が長くなるほど、そんな不安が募っていきました。

「お母さん、ひとりで大丈夫かな」
「気持ちが落ち込んでしまっていないだろうか」

でも、そんな中でも病院のリハビリスタッフの方々が、母に寄り添い、たくさん声をかけてくださったと聞きました。その時数人のスタッフの方と写った1枚の写真を嬉しそうに見せてくれました。
このとき私は心から思いました。

「家族がそばにいられないときでも、支えてくれる人たちがいる」
「人のやさしさって、本当にありがたい」

医療・介護の現場で働く方々への感謝の気持ちは、今でも忘れることができません。

母を引き取る決断と、始まった“ダブルケア”の日々

退院後、いろいろな事情が重なり、私はついに母を自宅に引き取ることを決めました

高齢の母と、まだ中学生の子ども――
生活スタイルも、必要なサポートもまったく違う二人。
けれど、どちらも「今、私を必要としている」存在です。

「これからは、私が支えていこう」
「母も、子どもも、笑顔でいられる毎日をつくりたい」

そう思ったのが、介護と子育ての**“ダブルケア”生活のスタート**でした。

もちろん、毎日は決して楽ではありません。
朝は母の身支度と朝食介助から始まり、日中は買い物や書類対応、
夕方からは子どもの学校関係や食事づくり。
夜は母のトイレ介助や見守りでなかなか熟睡もできません。

けれど、「家族が一緒にいる」という安心感と、
母の穏やかな表情が、
私に力をくれました。

介護と子育て。
どちらかではなく、どちらも“今しかできない大切な役割”。

大変だけれど、**家族で過ごす日々は、確かに“かけがえのない時間”**になっています。

30年勤めた仕事を辞め、母と子どもに向き合う日々へ

母を引き取ると決めた頃、私はもう一つ大きな決断をしました。

それは――
30年勤めた仕事を辞めること。

公務員として多くの子どもたちと向き合い、学びを支えてきた30年。
やりがいもあり、大切な仲間もいて、本当にかけがえのない場所でした。

けれど、母の介護と子育ての両立を考えたとき、
「中途半端にはできない」と強く思ったのです。

「母が安心して過ごせるように」
「子どもの成長を、しっかり見守れるように」

今だからこそできること、今しかできないことに向き合いたい。
そう思って、私は仕事を手放し、家庭に軸を移しました。

仕事を辞めることは、もちろん簡単なことではありませんでした。
収入面への不安、自分のキャリアの途切れ、社会とのつながりの薄れ――
たくさんの葛藤がありました。

けれど、今こうして母と子どもと毎日を過ごしていると、

「この選択に悔いはない」と、心から思えるのです。

今は「支えること」が、私の新しい役割

かつては「教えること」が私の役割でした。
でも今は、「支えること」「寄り添うこと」が、私の新しい役割です。

母の笑顔が見られること。
子どもが「おかあさんがいてくれてよかった」と言ってくれること。

それが今の私にとって、何よりの“やりがい”になっています。

目次

おわりに 〜あの日から、今を生きる〜

母が脳梗塞で倒れたあの日。
「もっと早く気づいていたら…」と、何度も悔やみました。

その後も骨折、入院、そして自宅介護。
子育てとの両立に悩み、仕事も辞め、不安で眠れない夜もありました。

けれど、そんな毎日を重ねていくうちに、少しずつわかってきたことがあります。

人はひとりでは生きられない。
だからこそ、支え合うことには意味がある。

介護も子育ても、うまくいかないことの連続です。
でもその中に、小さな喜びや、笑顔になれる瞬間が、確かにあります。

今こうして母と子どもと過ごす日々は、決して派手ではないけれど、
とてもあたたかくて、かけがえのない「家族の時間」です。

この経験が、これから誰かの心を少しでも軽くできたり、
同じように悩む誰かの背中をそっと押せたら――
それが、私がこのブログを書く理由でもあります。

読んでくださって、本当にありがとうございました。

介護の毎日は、想像以上に大変で、いつも自分の中で葛藤しています。今まで育ててくれた感謝の気持ちをどこかに置いて嫌な自分になることも・・それでもその中に小さな幸せもあります。

「自宅介護って、実際どうなの?」と思っている方へ、少しでも届きますように――。

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